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当センターについて

理事長挨拶

理事長 船戸 正久

大阪発達総合療育センターのホームページを開いていただき、こころから感謝いたします。私は、2011年4月長年勤務した淀川キリスト教病院を退職し、 梶浦名誉理事長の強い勧めもあり大阪発達総合療育センターのフェニックス園長として就任しました。病院からこの施設に来て発見したことは、 「医療モデル」だけでなく、「生活モデル」「地域モデル」の全人的な支援を行っているという事実です。とくに職員は、糸賀一雄先生(びわこ学園創始者)の「この子らを世の光に」や岡崎英彦先生(びわこ学園初代園長) 「本人さんはどう思ってるんやろ」という有名な言葉のように、(1)非常に優しい、(2)色々な経験を積んで人間性に富む、(3)利用者の方々一人一人を大切に思っている、(4)それぞれの方々の最善の利益をご家族と共に多職種協働で考えられる能力が備わっています。

当施設は、最初1970年聖母整肢園として肢体不自由児の療育施設として開設されました。当初の基本理念は、(1)施設収容よりも在宅療養を、(2)脳性麻痺に対する積極的な医療、(3)脳性麻痺の療育は0歳から、 と収容施設と考えられていた概念を大きく変えるものでした。すなわち整形外科的な治療とリハビリテーションを導入し、積極的な「早期治療」と「在宅療養」を大きく進めるものでした。 当センターの初期の取組みが全国に波及し、今ではこのモデルが肢体不自由児の通常の療育モデルとなりました。当センターの療育の土台となったのが、有名な英国のボバース夫妻が開発した 「ボバース・アプロ―チ」による小児リハビリテーション法の日本への導入でした。その後1982年南大阪療育園に名称を変え、2006年には大阪市の委託を受け、新たに重症心身障害児・者の入所施設フェニックス(医療型障害児入所施設・療養介護)を併設しました。 そして名称を大阪発達総合療育センター(医療機関名:南大阪小児リハビリテーション病院)と改名しました。現在人工呼吸器など高度医療的ケアが必要なより重症児者の方々もフェニックスに多く受けて入れています。 現在の理念は、「私たちは障がいを持つ人々が地域においても安心して生活できるように総合的支援を実践いたします」であり、入所利用者さまだけでなく在宅を継続しながら日々の生活や活動を行う方々への多職種協働支援を継続しています。 とくに在宅で生活する重症児者の方々ため専門外来やリハビリテーション、通園・通所・短期入所支援に加え、2010年に訪問看護ステーション「めぐみ」を開設し、訪問看護・訪問リハビリ、さらに訪問診療、訪問介護、相談支援などの事業も進めており大変喜ばれています。 それ以外にも大阪市の委託事業として「重症心身障がい児者生活支援センター事業」(人材育成研修、医療的ケア児等コーディネータ育成研修)、「医療コーディネート事業」(急病対応、地域かかりつけ医紹介、医療関係者・本人・家族研修)などの継続、「在宅移行支援プログラム」「ショートステイ連絡協議会」なども多施設・多施設協働で推進しています。

2023年4月3日敬愛します鈴木恒彦前理事長がご逝去されました。鈴木先生は、私たちのセンターの大黒柱として、梶浦名誉理事長の後を引き継いで、2代目理事長の重責を担って下さいました。 闘病中の苦しい中最後の最後まで奥さまと共にセンターに顔を出していただき、私たち職員を励まして下さいました。

鈴木先生は、2021年に栄誉ある「高木賞」を受賞されました。梶浦先生、廣島先生に次いで当センターとしての3人目の受賞となりました。 その受賞理由が、「神経学を基礎にして神経リハビリテーションの考え方を我が国に導入した」ことでした。ボバースご夫妻から直接指導受けた梶浦先生、児玉先生、紀伊先生、そして鈴木先生らがボバース法を日本に導入し、医学的・論理的にも小児リハビリテーションを広める大きな土台としての働きをしてくれました。 当センターの発展にはこれらの方々の大きな働きがあります。

今後鈴木先生始めこれらの先生方が残して下さった大きな遺産を、私自身も3代目理事長として川端院長共々職員一同と協力して遂行したいと願っています。 どうか皆さまも、センターや職員の今後の働きに、ご支援・ご協力下さいますようお願いいたします。今後も職員一同、梶浦名誉理事長が座右の銘とされた「謙虚と挑戦」(利用者さま・ご家族から学び、新しいことに挑戦する精神)を継承しセンターの発展に努力したいと願います。

社会福祉法人愛徳福祉会 理事長
大阪発達総合療育センター センター長
船戸 正久