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当センターについて

理事長挨拶

理事長 梶浦一郎 近影

大阪発達総合療育センターのホームページへお越しいただき、ありがとうございます。
当センターが脳性麻痺に取り組んだ1970年ころは、0歳からの早期治療を導入している施設はありませんでした。 さらに当時の社会通念は脳性麻痺児や肢体不自由児はコロニーに収容することが当たり前だと考えられていました。 しかし、当時園長の梶浦一郎先生は、子どもの療育にとっても成長にとっても親との関わりが大切だと考えられ、収容を中止し、敢えて在宅で療育をするようにし、必要とあれば入院して手術をする、そして、治療が終わればまた家へ帰すというように、「早期治療」と「在宅療育」を大きな理念として掲げました。 いずれも、この国では当センターが初めて取り組み、2~3年後にはこのモデルが全国に広まる結果となりました。

また、脳性麻痺のリハビリテーションで有名なボバースアプローチを、日本でもっとも早く取り入れ、発達援助、機能改善、家庭療育に用いてきました。しかし、患者さん全員を治せるわけではありません。
『大人になっても利用できる施設をつくりたい』。
そう考えて、当センターの今のかたちができ上がりました。障害児・者を取り巻く環境は、日々変化しています。語弊を恐れずに言うならば、以前よりも重症で長寿命の患者さんが増えてきているのです。その理由は、医療が進歩してきたからにほかなりません。例えば、以前であれば救えなかった命が、周産期医療の進歩により助かるようになってきました。 しかし、その結果大きな障害を残すことにもなっています。
少なからず、高度医療が生み出してしまった障害が増加している今、だからこそ『医療が支えなければいけない』と考えるのです。
しかし、『病気をみて人をみない』のでは医療で福祉を支えることにはなりません。
つまり、ただ保護や介護するだけでなく“社会に出していくこと”も私たちの大きな使命であります。在宅で活動できるよう支援していくこと、そしてご家族を含めたリハビリテーションがこれから必要なことの一つだと考えています。

そこで、当センターでは、平成22年1月に『訪問看護ステーション』をオープンいたしました。一人でも多くの患者さんが、大好きな我が家で日常を送れるようサポートしていく体制を整えています。より高度な医療体制、より確かなシステムの構築を目指して今後も取り組みを強化していく予定です。
1970年に、障害児の支援施設「聖母整肢園」。その開設後、規模が大きくなったために1982年に「南大阪療育園」と改称して、脳性麻痺児を含めた小児整形外科病院として大きく発展し、現在は「南大阪小児リハビリテーション病院」となっています。
医療の進歩と共に障害児は減りましたが、その代わりに重症の方は増えてきたのです。当法人では1970年からこの医療福祉に取り組み、その当時赤ちゃんだった利用者の方々も成長して大人になられています。障害が良くなる方もいらっしゃれば、そうならない方もいらっしゃいます。その場合は治療ではなく、介護へと移行せねばなりません。
しかし、親御さまも歳をとられますので、いつまでも介護を続けていくのは困難になります。
重症心身障害児として認められるのは18歳までですが、私たちとしてもそこで援助を終えるわけにはいきません。そこで、大人になっても援助を続けられるよう重症心身障害者施設も併設することにしました。

構想してから10年の歳月が必要でしたが、大阪市の補助も受けられるようになり、2007年に肢体不自由児および重症心身障害児・者の支援援施設「大阪発達総合療育センター」を本格的にオープンさせ、現在に至ります。これからも当センターは、脳性麻痺、重症心身障障害、及び、肢体不自由児の生活を支える基盤として、研究し続けてまいります。

理事長 鈴木 恒彦